日本も中国文明から見たら〝辺境の民〟に過ぎない


 中国共産党の強権によって香港の自治が危ぶまれるなか、台湾の民主主義が改めて世界の注目を浴びています。  

 先日訃報が伝えられた台湾の李登輝元総統は、日ごろこう公言していたといいます。

 「難しいことは日本語で考える」  

 李元総統は、日本の統治下で日本陸軍の少尉として終戦を迎えています。若き日には、戦後の国民党による民衆弾圧「2・28事件」を逃れる経験もしています。  

 後年、台湾の蔣経国総統(当時)の知遇を得て政治経験を積み重ね、その死とともに台湾人初の総統となっています。  

 直接選挙へと国民党政権の改革を成し遂げ、中国のミサイル演習の脅しを逆手にとって初の民選総統となったのです。  

 日本の植民地時代に日本語教育を受けた台湾人の歌集「台湾万葉集」に、こういう一首があります。 

「悲しかり 化外の民の 如き身を 異国の短歌に 憑かれて詠むは」  

 ここで詠まれた「化外の民」とは、中華文明から見た〝辺境の民〟のことです。  

 1996年の初の総統直接選挙の2年前、李元総統は作家の司馬遼太郎さんとの対談で、「台湾人に生まれた悲哀」について語っています。  

 その対談で、李元総統は「日本も国民党もすべて〝外来政権〟だった」と嘆き、聖書のモーゼの「出エジプト」になぞらえて台湾の「新しい出発」を語っているのです。  

 李元総統の生涯は歴史の不条理を自らの運命として引き受け、その悲哀から民主化という果実を生み出して次世代に贈ったことでしょう。 

八丁堀のオッサン

八丁堀に住む、ふつうのオッサン。早稲田大学政治経済学部中退。貿易商社勤務のあと雑誌編集者、『月刊文芸春秋』、『週刊ポスト』記者を経て、現在jジャーナリストとして文字媒体を中心に活動。いろいろな面で同調圧力 にとらわれ、なにかと〝かぶく〟ことが少なくなっているニッポンの風潮が心配。

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