安倍政権はコロナ禍を前にして〝第2波〟という言葉を避けている
1918年9月20日、地方紙に次のタイトルの記事が掲載されました。
「日紡の大垣工場に奇病発生」
続けて26日、大津の歩兵第9連隊で400人の感冒患者が出たと報道されています。 これが、日本でのスペイン風邪の〝本流行〟の始まりでした。
同年春には、その先触れとみられる小流行が発生しています。だから、この本流行は〝第2波〟ということになります。
日本でのスペイン風邪の〝本流行〟にも前後2つの波があって、翌年暮れからの第3波は〝後流行〟と呼ばれています。
なかでも最も多くの死者が出たのは第2波で、ウイルスの毒性が春の流行より格段に強まったと見られています。
コロナ禍で、東京や大阪、名古屋、福岡などが今、新規感染者の急増をみれば感染拡大の〝第2波〟に見舞われているのは明らかです。この感染拡大の勢いでは、医療が逼迫するのは時間の問題でしょう。
しかし、打ち出す政策がチグハグな安倍政権は第1波に比べての重症者の少なさや医療体制の余裕を強調し、〝第2波〟という言葉を避けようとしています。
信じられないのは、安倍首相から直接国民に訴えるメッセージが何も聞こえてこないことです。
0コメント