純白のマスクに意味を見出す非科学的な人たち
マスクは、ときに対人関係の「楯」になって装着する人を鼓舞します。とくに純白のマスクは、相手への挑戦的姿勢が強調されることがあります。
コロナ禍に見舞われている今、感染拡大の「楯」となることを期待されるマスクですが、相変わらずの入手難が続いています。もちろん、マスクが「純白」だからといって科学的にウイルスがたじろぐというエビデンスは見当たりません。
こうした緊急事態でも、相変わらず生徒や従業員がつけるマスクを「白」と指定する学校や職場があるのには呆れてしまいます。マスクの入手難のなか、手作りするにも白い布や糸、ひもをそろえるのが大変でしょう。まさに、色指定は意味がなく、「緊急事態」に鈍感過ぎます。
そんななか、東京都の小池百合子知事は柄物マスクで記者会見などに臨んでいます。これはいい傾向で、マスクの〝脱純白が進んでほしいものです。マスク着用に抵抗感のないアジア諸国では、ブルーや黒、柄物のマスクもふつうに使われています。
コロナ過は、マスク文化に革命をもたらしています。欧米の保健当局では、症状のない感染者からも飛沫感染の恐れのあるコロナの特徴や手指が顔に触れるのを防ぐといった効能からマスク着用を推奨するところが増えています。
それでも、「私はマスクを着けない」というトランプ米大統領のような人物もいます。顔を覆うマスクへの好悪は、人の心の深層に根ざしているようです。
ただ、「純白」のマスクの威力頼りで感染拡大の「楯」の綻びを招いては元も子もありません。
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