現代の駆け込み寺

 虐待は、昔からありました。  

 たとえば江戸時代、夫の虐待を逃れて「縁切り寺」に駆け込む妻がいたとします。しかし、すでに日が暮れて駆け込むはずの寺の門は閉じています。妻の駆け込みを察した夫が、後から追いかけてきます。  

 そんな状況で、妻が櫛や履物など身に着けてものを寺の塀越しに投げ込むと「駆け込み」が成立したといいます。当時、女性の避難所になっていた「駆け込み寺」には閉門時でも「門前払い」はなかったのです。  

 一方、今日の児童虐待から子どもを守るのは児童相談所の役割です。先日、神戸市の「こども家庭センター」に午前3時に駆け込んだ小学生の女児が、当直中のNPO職員のインターホーン越しの応対で中へ入れてもらえませんでした。  

 江戸時代の駆け込み寺とは違い、「警察に相談して」と驚きの「門前払い」を受けたのです。幸い女児は無事でしたが、この職員は女児の年齢を見誤り、切迫した事態でないと思ったといいます。   この一件と前後して、昨年1月に父親の暴力を訴えながら虐待死した千葉県の栗原心愛さんが残した「自分への手紙」の話がニュースで報じられました。 

「未来のあなたを見たいです。あきらめないで下さい」  

 終業式で、心愛さんが自分で読むはずの励ましの手紙でした。「こども家庭センター」に駆け込んだ女児も、運が悪いと心愛さんと同じ道をたどる恐れもあるのです。

  

八丁堀のオッサン

八丁堀に住む、ふつうのオッサン。早稲田大学政治経済学部中退。貿易商社勤務のあと雑誌編集者、『月刊文芸春秋』、『週刊ポスト』記者を経て、現在jジャーナリストとして文字媒体を中心に活動。いろいろな面で同調圧力 にとらわれ、なにかと〝かぶく〟ことが少なくなっているニッポンの風潮が心配。

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