永田町文学や霞が関文学は責任逃れの文章術

 政界や官界には「永田町文学」「霞が関文学」という言葉があり、曖昧な文言を連ねた書面をつくって各方面の顔を立てる、あるいは責任逃れをする〝文章術〟のことです。  

 この文脈で地球温暖化対策を話し合う国際会議COP25を取り上げると、同会議は会期を2日延長して〝COP文学〟で幕となりました。 

「可能な限り高い野心を反映するよう強く要請する」  

 合意文書には、温暖化ガス削減目標についてこんな表現がいろいろ並んでいます。  

 気候変動に危機感を強める欧州連合(EU)や島嶼国、目標引き上げを嫌がる中国やインド、そもそもパリ協定からの離脱を決めている米国と、世界はバラバラなのです。日本は、そんな状況に右往左往するばかりです。  

 災害は、弱いところを直撃します。温暖化も同じで南太平洋のツバルは消滅の崖っぷちに立ち、ユーラシア大陸やアフリカ大陸で砂漠化が進んでいます。  

 アフガニスタンで殺害された中村哲医師が「ペシャワール会報」に寄せていた最後のメッセージは「凄まじい温暖化の影響」と題する一文で、19年の体験に基づいた訴えでした。  

 アフガンの国土は今、干ばつによって破壊されつつあります。中村医師は、最後のメッセージで相変わらず拳を振り上げ、札束が舞う世界について「沙漠以上に危険で面妖なものに映ります」と憂えています。 

「こうして温暖化も進み、世界がゴミの山になり、人の心も荒れていくのでしょう」 

〝COP文学〟は、この言葉に応えられるとも思えません。  


#永田町文学 #霞ヶ関文学 #COP文学

八丁堀のオッサン

八丁堀に住む、ふつうのオッサン。早稲田大学政治経済学部中退。貿易商社勤務のあと雑誌編集者、『月刊文芸春秋』、『週刊ポスト』記者を経て、現在jジャーナリストとして文字媒体を中心に活動。いろいろな面で同調圧力 にとらわれ、なにかと〝かぶく〟ことが少なくなっているニッポンの風潮が心配。

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