救えなかった少女の絶望
あなたが、たった一人で無人島に流れ着いたとします。どんなに待っても、助けてくれる船は通りません。誰も助けに来ないことよりも大きな絶望があるとしたら、次のようなケースかもしれません。
無人島に漂着して数カ月後、一隻の船が島の近くを通ります。その船はあなたに気がつき、島に近づいてきます。あなたは「助けて」と叫びますが、船長はあなたの姿を見てこう言います。
「大丈夫そうですね。あなたはこの島で十分暮らしていけますよ」
船は、あなたを残したまま去っていきました。あなたは助けの船が来たと〝希望〟を見た分、その絶望はより大きいかもしれません。
千葉県野田市の栗原心愛さんが虐待死した事件をめぐる県検証委員会の報告書から見えてくるのは、そうした悲しい虐待被害児童の〝漂流記〟です。
児童相談所は父親の暴力や性的虐待の可能性を児童心理司や問診した精神科医が指摘していたにもかかわらず、心愛さんを一時保護したものの祖父母宅で生活することを条件に保護をうかつにも解除しています。
つまり、どんな言い訳をしようと助けを求める心愛さんを虐待という名の怪物の棲む島に置き去りにしてしまったのです。そして、心愛さんは亡くなりました。
報告書には「救える命だった」と書かれていますが、自分を残したまま去って行く船を見つめる10歳の孤独と絶望の深さを思わずにはいられません。だが、児童相談所はミスを重ね、心愛さんを救えませんでした。それは、「救わなかった」と何が違うというのでしょう。
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