江戸時代はボランティアが多かった

 さて、労働時間――。  

 収穫祭や神仏の祭事は、江戸時代後期から盛んになったとされています。当時、農業技術が改良されて一部の農民が豊かになるにつれ、豪農と貧農の格差が広がりました。年貢を払えずに田畑を処分し、豪農の下で賃労働者となる農民が相次いだといいます。  

 そうした状況下で、どれだけ働いても貧しかった賃労働者たちは休日を求めました。各藩も、東北地方などで飢饉が相次いで労働力不足が深刻になったため賃労働者の要求を受け入れざるを得ませんでした。それで休みが増え、年中行事が賑やかになったというのです。  

 大都市の江戸では、町人の働く時間は一部の丁稚を除いて今よりはるかに少なかったといいます。生活費を稼ぐ仕事は午前中で終えて、午後は他人を楽にするために人助けをするボランティア活動のようなことをしていた人が多かったとも伝えられています。  

 この点、今の日本は過労死・過労自殺が年間190人も出るのが実態です。健康を害して、退職する人も後を絶ちません。労働時間が日本より少なく、1人当たりの国内総生産が多い国は、欧州各国を初めとしてたくさんあります。  

 4月1日、やっと罰則付きの残業時間規制が設けられた働き方改革関連法が施行されました。人手不足に苦しむ企業は少なくありませんが、企業や組織は省力化を進めて生産効率を上げなければなりません。残業させてもしていないことにする「残業隠し」などは、決して許されません。  

 とにかく、人生の時間は限られています。家族や友人と過ごすことで得られる充足感、文化や芸術の楽しみをもっと大事にする人が増えてもいいはずです。そうした自分らしい生き方を可能にするには、制度だけでなく、それぞれの価値観も変えなければならないでしょう。 

 

八丁堀のオッサン

八丁堀に住む、ふつうのオッサン。早稲田大学政治経済学部中退。貿易商社勤務のあと雑誌編集者、『月刊文芸春秋』、『週刊ポスト』記者を経て、現在jジャーナリストとして文字媒体を中心に活動。いろいろな面で同調圧力 にとらわれ、なにかと〝かぶく〟ことが少なくなっているニッポンの風潮が心配。

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