人生の行く手には渡らなければならない川が何本も流れている

  スマホが世界中を席巻し、それを利用するスマホ族の行動はなかなか厄介です。なかには公的な世界を拒否し、私的な世界でだけ生きようとしている人もいます。  

 ただ、人生には、大学受験で浪人したり、病気で学校や会社に通えなくなったり、結婚して子どもが生まれたり、その子どもと離婚して会えなくなったり、一戸建てやマンションを買ったり、その不動産価値が暴落したり、子会社に飛ばされたり、転職したりと、いろいろと渡っていく川が横たわっています。  

 こうした川を渡り切れなくなり、川底が深くなっているところで「溺死」してしまうことがあるかもしれません。  

 たとえばビジネスの世界では、いかに優秀な人であっても経営トップになるまで生き残っていくということはなかなか難しいことです。  

 大半の人がトップになる前に出世争いから脱落していきます。自分の派閥のボスだった専務が失脚したから、しばらく体調を崩していたからといった理由を並べてみても、その大半が自滅だということです。  

 色々と越すに越せない困難という壁に道を塞がれたとき、多くの人はその壁と真正面から長いスパンで向き合っていけるほど精神力が強くもありません。  

 ただ、壁を乗り越えられなかった脱落の経験が頭の中に刷り込まれると、なかなか消え去ってはくれません。  

 こうしたとき、落ち込んだ気持ちを癒やしてくれるのがスピリチュアルや瞑想です。人生、あらゆることを理屈で説明できるわけではないのです。  

八丁堀のオッサン

八丁堀に住む、ふつうのオッサン。早稲田大学政治経済学部中退。貿易商社勤務のあと雑誌編集者、『月刊文芸春秋』、『週刊ポスト』記者を経て、現在jジャーナリストとして文字媒体を中心に活動。いろいろな面で同調圧力 にとらわれ、なにかと〝かぶく〟ことが少なくなっているニッポンの風潮が心配。

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