王になれなかった男「麻原彰晃」の末路は「死刑」

 オウム真理教の教祖「麻原彰晃」死刑囚は〝凶悪事件〟を次々と起こしていますが、以下の3つの事件を首謀したとして死刑の判決が下っていました。


 ①1989年11月、教団に反対の立場を取っていた坂本堤弁護士(当時33歳)ら家族3人を横浜市の自宅で殺害(坂本弁護士一家殺害事件)  

②1994年6月、長野県松本市でサリンを散布し7人を殺害(松本サリン事件) 

③1995年月、東京都心を走る3路線5方面の地下鉄でサリンをまき12人を殺害(地下鉄サリン事件)  


 このほかの事件も含めて13の事件で計26人を殺害しています。のちに被害者も増え、一連の事件での死者は29人にも上っています。  

 死刑が確定した判決では、一連の動機をこう認定しています。

 

「(麻原死刑囚が)救済の名の下に日本国を支配して自らその王になることを空想。その妨げになる者をポア(殺害)しようとした」  


 結局、王になれなかった男「麻原彰晃」の末路は「死刑」となったのです。

八丁堀のオッサン

八丁堀に住む、ふつうのオッサン。早稲田大学政治経済学部中退。貿易商社勤務のあと雑誌編集者、『月刊文芸春秋』、『週刊ポスト』記者を経て、現在jジャーナリストとして文字媒体を中心に活動。いろいろな面で同調圧力 にとらわれ、なにかと〝かぶく〟ことが少なくなっているニッポンの風潮が心配。

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