生きものなかで祈るという行為ができるのは人だけ

 都内のIT企業で働く女性システムエンジニアの永野奈生子氏(仮名、24歳)は最近、つき合っていた4歳年上の彼氏に裏切られています。食品メーカーに勤めている相手に、知らない間に自分より2つ年下の新しい恋人ができていたのです。

 ショックで仕事にも身が入らず、しばらく食事も喉を通りませんでした。  

 晴天だった日曜日の昼下がり、彼女は自宅から近い神社を一人で訪れました。二礼二拍し、頭のなかで神様にこう語りかけています。

 <ねぇ、神様。心から信頼していた人間関係を逆手に取られ、酷い目に遭いました。それで、人を信じる気持ちが削がれてしまいました。この先、素直な気持ちで人を信じないほうがいいのでしょうか。それが、冷静な大人の判断ということなのでしょうか。どんな心で、これから人と向き合っていけばいいのでしょうか>  

 残念ながら彼女には物理的に神様は目に見えないし、その声も耳には聞こえません。それでも二拍ニ礼を終えるジッと目を閉じて、しばらく心の声で神様に向かって語りかけています。

 それまで溜まっていたネガティブな思いを洗いざらい神様にぶちまけると、黙って意識を深く掘り下げていきました。数分後、自分の心のなかで何か変化が起こったことを感じ取っています。

 <今、神様に答えてもらった>  

 神社を後にした彼女は、ゆっくり歩きながら心のなかでこう思っています。 

<神様は、情けないと思っていた私の気持ちを見抜いていた。これから仕切り直しで、まっさらからのスタート。ただ、神様が答えてくれたように確実に人生のステージは上がっている>  

 彼女の一連の思いは、スピリチュアルな感覚がもたらしたものです。  

 生き物のなかで祈りの場を設け、祈るという行為ができるのは人だけです。

八丁堀のオッサン

八丁堀に住む、ふつうのオッサン。早稲田大学政治経済学部中退。貿易商社勤務のあと雑誌編集者、『月刊文芸春秋』、『週刊ポスト』記者を経て、現在jジャーナリストとして文字媒体を中心に活動。いろいろな面で同調圧力 にとらわれ、なにかと〝かぶく〟ことが少なくなっているニッポンの風潮が心配。

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