現代社会は低級な自然霊が増えている

 心が病気に向かって突き進んでいるということは、スピリチュアルの観点からするとまとわりつく自然霊が増えているということです。  

 最近のマスコミ報道を見ていると、殺伐とした事件が多くて暗澹たる気持ちになってしまいます。しかも、殺人事件にしても犯人が「殺す相手はだれでもよかった」「人を殺してみたかった」といった呆れた動機で手を染めています。  

 スピリチュアルな世界を信じている人は、そうした犯罪が増えている傾向についてこう思っています。 

「東京の風景を見てもわかるように、都市は大自然と切り離された土台から成り立っている。しかも、住民は人霊としての感性を失い、自然霊に近くなってきている。  

 人霊は太古の昔から自然霊とうまく調和し、目に見えない何かに生かされているという気持ちで一緒に活動してきた。それが今、人霊から切り離された低級な自然霊が横行するようになっている」

 自然霊とは天狗、龍神、狐、狸などの姿を借りて人の前に現れてくる霊的エネルギー体のこと。ちなみに花に宿るという妖精も、自然霊とされています。  

 その自然霊にもランクがあり、「神」と呼ばれるものは最高級の自然霊。一方、狐憑きのように人霊に憑依し、人を困らせるのは低級な自然霊とされています。そして殺伐とした事件が多くなった日本には、低級な自然霊が増えているということ。  

 スピリチュアルの世界では、低級な自然霊が増えているのは人霊が自然霊に対して感謝の気持ちを忘れてしまっているからと見ています。  

 そのため高級な自然霊が現世から離れていってしまい、低級な自然霊ばかりが残ってしまったというのです。  

 情愛に乏しい人の心は低級な自然霊に感応しやすく、低級の自然霊はその人の人霊にどんどん憑依していくとされています。  

 人霊と自然霊の違いは、情愛があるかどうか。人霊には情愛があり、それが自然霊にはないというのです。  

 人霊は、親子関係を通して情愛や葛藤などを学んでいくといいます。あなたの親子関係がギスギスしていると、それぞれの人霊は情愛を学ぶ機会が失われてしまいます。  

 昔から、こう言われています。 

「お稲荷さんに願いを叶えてもらったから、お礼参りをしないとあとで手痛い目に遭わされる」

 それは、自然霊の「黒か白か」を基準として活動する性質を示唆したもの。つまり、低級な稲荷霊には「祀(まつ)ると助けてあげるが、お礼をしないと祟ってやる」といった怖さがあるということです。  

 霊的な世界を信じる人は、こう警鐘を鳴らします。 

「身勝手な殺人や幼児虐待などは、人霊が自然霊化している兆候。テロや戦争も同様で、人命があまりにも軽んじられている。 少年によるホームレス殺人事件にしても、『汚いから』といった動機で虫けらのように人を殺している。今後、似たような事件がますます増えていくのではないか」  

 そうした低級な自然霊にまとわりつかれた人は、自分がスピリチュアルをわかって変わらないかぎり幸せをもたらすオーラに包まれることはないということでしょう。  

八丁堀のオッサン

八丁堀に住む、ふつうのオッサン。早稲田大学政治経済学部中退。貿易商社勤務のあと雑誌編集者、『月刊文芸春秋』、『週刊ポスト』記者を経て、現在jジャーナリストとして文字媒体を中心に活動。いろいろな面で同調圧力 にとらわれ、なにかと〝かぶく〟ことが少なくなっているニッポンの風潮が心配。

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