成功の秘訣はスピリチュアルな感覚を持つこと

 徳川家康を描いた絵「徳川家康三方ケ原戦役画像」は通称、「顰(しかみ)像」とも呼ばれています。家康には、「失敗を忘れない」「何事も自責で考える」といった内省的な一面があったといいます。  

 それで「顰像」を描かせた意図は、三方ケ原合戦での敗戦を忘れないために恐怖で引きつった自分の顔を描かせ、同じ過ちを繰り返さないことを生涯の戒めにするため。  

 だれでも、失敗を自責で考えるのは辛いことです。何かとプライドがあり、それを壊されたくないので周りの環境や他人に責任を転嫁したがります。ただ、そうすると同じ過ちを繰り返すようになり、いつまでたっても心が成長しません。  

 あなたは、自分の「顰像」がありますか? 

「泣かぬなら泣くまで待とう時鳥(ほととぎす)」は、忍耐強さで知られる家康を表した句です。家康は、人生50年と言われた時代に75歳まで生きています。  

 その秘訣は、何だったのでしょうか?  

 天下を取った織田信長や豊臣秀吉は、贅沢三昧の生活に明け暮れています。その点、家康は違っていました。普段の生活では麦飯と豆味噌を好み、生物や生水も一切口にしなかったといいます。  

 野菜や果物は旬にこだわり、季節はずれの食材を口にすることはなかったそうです。徹底的に自己管理し、質素な食生活を送っていたのです。  

 さらに毎日のように刀術や槍術、弓術、馬術、鉄砲、水泳など鍛錬も怠らず、体力が衰えた古希を過ぎても鷹狩りに頻繁に出かけて身体を鍛えていたといいます。  

 人生観として、スピリチュアルな感覚で「長生きこそ勝ち残り術」ととらえていたのかもしれません。 

八丁堀のオッサン

八丁堀に住む、ふつうのオッサン。早稲田大学政治経済学部中退。貿易商社勤務のあと雑誌編集者、『月刊文芸春秋』、『週刊ポスト』記者を経て、現在jジャーナリストとして文字媒体を中心に活動。いろいろな面で同調圧力 にとらわれ、なにかと〝かぶく〟ことが少なくなっているニッポンの風潮が心配。

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