孤独な人は闇に癒される

 戦後の日本は、DDTの白い粉を頭から散布してシラミを駆除してきたように、蛍光灯や水銀灯の明かりで家庭や夜の街からとにかく闇を追い払おうとしてきました。

 闇というのは恐ろしいもので、日本の未来は明るくなければいけないという論理です。

 

 ただ、消費者は今、過剰な明るさを嫌い始めています。夜を照明で明るくできるのに、あえてそうしないのです。  

照明器具も電球色 のLEDや蛍光灯が売れ、部屋の明かりを間接照明に切り替える人も増加中といいます。部屋の照明で、光の中に闇をうまく採り込む「採闇(さいあん)」を採用する人も増えています。  

 法事で、参列者の焼香やお経を自然光とロウソクの明かりだけで進めていくお寺もあります。

 そうした流れは、明る過ぎる都市生活に疲れた人たちがスピリチュアルな感覚を求め始めている兆候かもしれません。

  たまに夜に近くの小高い山を訪れると、奥深く底知れない闇の世界がどこまでも広がっています。やがて目がその暗さに慣れてくると、目の前に幻想的な森の全体像が闇のなかから薄っすらと浮かび上がってきます。 

 そして、闇に癒された自分がいることに気づかされます

八丁堀のオッサン

八丁堀に住む、ふつうのオッサン。早稲田大学政治経済学部中退。貿易商社勤務のあと雑誌編集者、『月刊文芸春秋』、『週刊ポスト』記者を経て、現在jジャーナリストとして文字媒体を中心に活動。いろいろな面で同調圧力 にとらわれ、なにかと〝かぶく〟ことが少なくなっているニッポンの風潮が心配。

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