「闇」は野生の感覚を呼び覚ます
京都人は、よく「京都の夜は暗いからいい」と言います。暗い街が好きだという人は、意外と少なくありません。
11年3月11日、東北地方が東日本大震災に見舞われています。震災後、都心の夜景は前よりも暗くなりました。それは1970年代、日本が見舞われた第1次石油ショック直後の都市の夜景のデジャブのようでした。
それまで東京の夜景は蛍光灯や水銀灯に照らされ、むやみに光が溢れていました。それぞれの家庭にしても、蛍光灯が部屋全体を明るく照らしていました。
戦後の日本は、DDTの白い粉を頭から散布してシラミを駆除したように、蛍光灯や水銀灯の明かりで家庭や夜の街から闇を追い払ってきたのです。闇は怖いもので、日本の未来は明るくなければいけないというわけです。
夜中に山を訪れると、奥深く底知れない闇がどこまでも広がっています。やがて目がその暗さに慣れてくると、幻想的な森の姿が浮かび上がってきます。
夜目は焦点を一点に集中させて細かく見る能力ではなく、目の前に広がる視界の全体像をとらえる能力です。
修験道では、山中を死後の世界と見なす「山中他界観」、山中で修行を重ねて里に戻ることを生まれ変わりととらえる「擬死再生」といった考え方があります。
確かに、闇に包まれた夜の山中を歩き続けて山頂でご来光を仰ぐと、闇と光の落差に感動を覚えます。これから、何か新しいことが始まるような気にもなってきます。
しかし、今の都市生活者は目の焦点をスマホやパソコン、タブレット、テレビなどの画面に合わせる生活を送っていて他をほとんど見ていません。
ただ、消費者は今、過剰な明るさを嫌い始めています。夜を照明で明るくできるのに、あえてそうしないのです。
照明器具も電球色のLEDや蛍光灯が売れ、部屋の明かりを間接照明に切り替える人も増加中といいます。部屋の照明で、光の中に闇をうまく採り込む「採闇(さいあん)」を採用する人も増えています。
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