スピリチュアルに生きるということ

 近代科学の発達にともなって、科学的、論理的に証明、検証できないことは迷信という唯物論的な考え方が主流になっています。目に見えるもので、この世界のすべてを説明しようとしてきたのです。

 しかし、科学は万能ではありません。自然や宇宙のすべてを科学が説明できるかというと、断言できません。実際には、科学的な解明が進むほど肝心なことは何も分かっていなかったことに気づかされることになります。

 たとえば、生命の設計図であるDNA。人は、だれもがDNAのよって形づくられています。そして、地球上のすべての生命体がDNAを持っています。

 その違いを分析したり、情報を利用したりして医療や食品の分野を中心にいろいろ応用がなされています。

 ただ、ここで肝心なことが抜けていることに気づかされます。それは、だれが見事に想像されているDNAの設計図を描いたのかということ。科学は、それが説明できていません。

 DNAには、意図的なものが感じられます。意図的ということは、何らかの意思があります。その意思は、だれの意志なのでしょうか? 

 スピリチュアルは、それを「人智を超えた意思」ととらえるのです。そこに気づくことができると、形あるものの背景には必ず「見えない意思による意図」が潜んでいることに気づかされるのです。

 つまり、スピリチュアルに生きる第一歩形あるものの背後に潜んでいる目に見えない存在に気づくことです。それは目に見える形ものとして存在しているわけではなく、その背後に広がっているということです。

 もちろん、そうした見えない意思の存在や、そこに潜んでいる意図を知らなくても生きていけます。だが、それに気づくことができると膨大な可能性に触れることができるようになれます。それが、スピリチュアルに生きるということです。 

八丁堀のオッサン

八丁堀に住む、ふつうのオッサン。早稲田大学政治経済学部中退。貿易商社勤務のあと雑誌編集者、『月刊文芸春秋』、『週刊ポスト』記者を経て、現在jジャーナリストとして文字媒体を中心に活動。いろいろな面で同調圧力 にとらわれ、なにかと〝かぶく〟ことが少なくなっているニッポンの風潮が心配。

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