だれでも幸せになりたい

 今年の年初、恐れていたことが我が脳を急襲しました。

 いつものようにパソコンを打っていた指に、いきなり異変がおこったのです。中指と薬指が突然、フワ~ンと脱力。

 とっさに「脳梗塞」と判断し、すぐさま自力で病院へ向かいました。救急車を呼ばず、わずかな時間を惜しんでタクシーで病院へ直行しています。

 救急の窓口で「脳梗塞」と、マヒを起こしている自分の口で伝えました。直ちに検査、検査が始まりました。サッサと服を脱がされ、MRIによる検査が始まり、続けて心機能の検査も。

 その間、マヒが進んで行くのがわかります。右半身にマヒが広がり、言語にも・・・。まさにギリシャ神話に出てくるメデューサにどんどん石化されていく感じだでした。 

  ふと脳裏で「これで人生が終わったな」と独り言。なぜなら、通常の行為が自由にできないことを短時間のうちに痛感させられたからです。 

 でも、直ぐに認識を改めました。とにかく「精一杯、生きよう」と思い直し、病院のベッドで懸命にリハビリ。

 真夜中も、明かりの消えた病室で独りリハビリ。リハビリの担当者からもらった星形のスポンジを右手に握り締め、力を込めて指の動きの「回復」を目指しています。

 入院から数日後、マヒは右上肢に限定されてきました。言葉もスムーズさには欠けますが、何とか話せるようになっています。

 担当医から「驚異的事例」と驚かれ、入院から10日後に退院。ふつうなら「リハビリ病院」送りとなるところですが、それを敢えて回避しています。

 自宅でリハビリに取り組みながら、仕事も始めることにしたのです。そのとき、大事なのは生きようとする意志だと思いました。同時に、なぜかスピリチュアルな気分になっています。

 あの日、なぜ私は脳梗塞から回復したいと思ったのでしょうか? 

 長生きしたかったからでしょうか? 

 もっと働きたったからでしょうか? 

 家族を幸せにしたかったからでしょうか? 

 なぜ?なぜなぜ?なぜ? 

 そう問いかけていくと、この答えにたどり着きます。

 自分が幸せになりたいから。

 だれもが幸せになるために生きています。  

八丁堀のオッサン

八丁堀に住む、ふつうのオッサン。早稲田大学政治経済学部中退。貿易商社勤務のあと雑誌編集者、『月刊文芸春秋』、『週刊ポスト』記者を経て、現在jジャーナリストとして文字媒体を中心に活動。いろいろな面で同調圧力 にとらわれ、なにかと〝かぶく〟ことが少なくなっているニッポンの風潮が心配。

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