小さな意識の変化が大きな結果の違いを生む

 世の中、そもそも考え方が少しも偏っていない人なんていません。

 人は、それぞれ顔の造りが異なっています。それと同じように価値観や人生観、世界観といった考え方も違っていて当たり前。

 たとえば原発の危険性ばかり考えていると、やはり原発廃止と結論づけがち。それも、思考の隔たりの一種です。

 その隔たりを防ぐには、日ごろからバランスの取れた思考を心がけていくしかありません。

 たとえば、ほかの人の考えを聞いてみるというのも一つの方法。原発というテーマでも、どう筋道を立てて考えていくのかというアプローチの仕方によって意見や結論が違ってきます。

  猫ブームですが、だれもが猫を好きなわけではないのです。なかには、犬のほうが好きな人もいます。そうした趣向の偏りこそ、個性というもの。

 人によって考え方が偏っているのも、人と違った個性があるということ。ただ、個性があるからといって価値があるというわけでもありません。

 個性には良いも悪いもなく、それは欲望や嫉妬なども含めたドロドロしたものから成り立っています。

 ラグビーのヘッドコーチで日本代表からイギリス代表に移籍したジョーンズさんは、朝日新聞(16年2月3日付)のインタビューでこう語っています。

「私たち人間は、楽な方に進みがちです。変化することは、いつだって難しいもの。だから、日々の生き方、考え方から変えていけたらと思っています。ほんの3~5%の小さな意識の変化。それが、大きな違いを生むのです。

 こんな言葉があります。『同じことを繰り返しながら違う結果を求めるのは、狂気の沙汰だ』。成長するためには、何かを変えないといけない。私が日本代表を指揮していたとき、選手が安住していた環境をぶっ壊し、彼らを極限まで追い込み続けました。日本人は、従順であるように教育されている。だから、全てをひっくり返す必要があったんです」

 決まったルーティンワークを繰り返しながら、何かを期待するのは端から無理な話なのかもしれません。

 とくに何らかの独創的な発想とその成果を期待するのは、それこそ狂気の沙汰というもの。 

八丁堀のオッサン

八丁堀に住む、ふつうのオッサン。早稲田大学政治経済学部中退。貿易商社勤務のあと雑誌編集者、『月刊文芸春秋』、『週刊ポスト』記者を経て、現在jジャーナリストとして文字媒体を中心に活動。いろいろな面で同調圧力 にとらわれ、なにかと〝かぶく〟ことが少なくなっているニッポンの風潮が心配。

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