学校に羊飼いは必要ない


 1990年、教師が閉めた校門の門扉に挟まれ生徒が亡くなるという痛ましい出来事「神戸高塚高校校門圧死事件」が起こっています。

 学校側の「遅刻を許さない」という狭い目的意識が異様に特化し、世界をバランス良く見る視野が失われた典型的な事件でした。

 この事件は、日本の教育が「共同体の役に立つ牧羊犬的な人格を団体まるごと目的地まで導かれる羊的な人格をつくることを目的に行われてきた」ということを浮き彫りにしています。

 先日、大阪地裁で行き過ぎた生徒指導で精神的苦痛を受けたとして、大阪府立高校の生徒だった女性が府に損害賠償を求めた訴訟の判決が言い渡されています。

 女性は生まれつき茶色の髪を黒く染めるよう強制され、不登校に追い込まれたと訴えていますが、判決はこれを退けたのです。

 近年、校則や生徒指導の在り方が争われる裁判は増えており、下着の色まで指定するような事例は「ブラック校則」として見直しの対象となっています。

 そもそも校則に明確な法的根拠はなく、合理的な範囲で学校長の裁量に委ねられているにすぎません。

 それを維持したいなら、やはり明快な説明が不可欠でしょう。

 学校で求められるのは自ら考え判断する「人的人格」の形成を目的とする意識で、羊飼いは必要ないはずです。

八丁堀のオッサン

八丁堀に住む、ふつうのオッサン。早稲田大学政治経済学部中退。貿易商社勤務のあと雑誌編集者、『月刊文芸春秋』、『週刊ポスト』記者を経て、現在jジャーナリストとして文字媒体を中心に活動。いろいろな面で同調圧力 にとらわれ、なにかと〝かぶく〟ことが少なくなっているニッポンの風潮が心配。

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