国会議員の本能に流された〝夜遊び〟は止まらない
作家の永井荷風の随筆「夜あるき」には、こんな格調高い文章が載っています。
「かの燦爛たる燈火の光明世界を見ざる時は寂寥に堪へず、悲哀に堪へず、恰(あたか)も生存より隔離されたるが如き絶望を感じ申候」
下世話な感覚で言うと、
だが、平たく言えば「夜遊びがしたい」といったところでしょう。
さすが浅草や銀座に毎夜、足を向けた荷風先生らしい文章です。
正直、ネオンを見ないと生きている気がしないといった気持ちはわからないでもありません。
先日、コロナ禍の感染対策で「夜遊び」が憚れるときに、政治家が密かに「燦爛たる燈火」の巷へ出掛けています。
緊急事態宣言下にもかかわらず銀座のクラブを訪れていた国会議員は批判を受け、自民党の3人は離党、公明党の議員は辞職に追い込まれてます。
それにしても、彼らはなぜ「今の時期の夜遊びが命取りになる」ということがわからなかったのでしょうか。
自分だけは夜の銀座も許されるという〝驕った考え〟に取りつかれた国会議員がこうも多いとは、怒りを通り越して情けないかぎりです。
その特権意識も気に入りませんが、それ以上に心配なのは政治家の生き様を見せつけられた国民が自粛生活にバカバカしさを覚えることです。
まったく、こうした政治家がコロナ禍の感染対策を台無しにしているのです。おそらく、そんな了見違いの議員はまだまだいるはずです。
落語「二階ぞめき」は、吉原通いが止められない放蕩息子が外出しないように自宅の2階に遊郭を再現するという話です。
納税者は、国会議事堂に銀座のクラブやキャバクラを設けてあげるしかないのでしょうか。バカバカしい!!
もちろん、地方議員も似たような行為に走っています。
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