感染症のパンデミックが政治や社会の成熟度を映し出す


 1882(明治15)年、コレラが流行していたとき、こんな俗謡がはやっています。

「いやだいやだよ じゅんさはいやだ じゅんさコレラの先走り チョイトチョイト」

 子どもたちが歌いながら、列をなして練り歩いたといいます。

 コレラの先走りとは、感染者の「避病院」への移送を巡査が先導したためです。強制隔離などの防疫に強権を振るった巡査は不安におびえる民衆の反発の的となり、各地で衝突が続発しています。

 献身的な巡査の殉職譚も伝えられていますが、何しろ強制隔離先の「避病院」の状況が酷かったといいます。まともな治療も受けられず、死を待つだけの場所として民衆に恐れられたのです。

 当時、コレラの流行は文明開化の暗部を浮き彫りにしたのです。

 今日のコロナ禍では医療が逼迫し、感染者が入院したくても受け入れられず、自宅療養中に亡くなるケースが相次いでいます。

 そんな最中に、入院を拒否する感染者に懲役刑を含む罰則を科す法改正案が閣議決定されたことには驚かされます。

 菅政権は、同時に営業制限に応じない業者に過料を科す法改正案も決めています。罰則の必要な局面ではありますが、事は重大な権利の制限です。

 本来なら緊急事態宣言下であわてて決めるのでなく、平時に十分論議を尽くしておくべき話です。

 感染症への不安が他人への攻撃性に転化するのは、明治のコレラ騒動でもあった人の悲しい性です。

 罰則の適否は今後、国会で検討されますが、いつの時代も政治や社会の成熟のほどを映し出す感染症のパンデミックです。

八丁堀のオッサン

八丁堀に住む、ふつうのオッサン。早稲田大学政治経済学部中退。貿易商社勤務のあと雑誌編集者、『月刊文芸春秋』、『週刊ポスト』記者を経て、現在jジャーナリストとして文字媒体を中心に活動。いろいろな面で同調圧力 にとらわれ、なにかと〝かぶく〟ことが少なくなっているニッポンの風潮が心配。

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