技を極めた「甚五郎」が現れることに期待


 落語「ねずみ」では、名匠と名高かった左甚五が作った木彫りのネズミが動くとの評判で繁盛する宿屋を妬んだ向かいの宿が地元の職人にトラを彫らせます。

 トラに睨まれたネズミは、怯えたように動かなくなります。

 話を聞いた甚五郎がトラを見にくると、何とも不出来なトラでした。甚五郎は、ネズミに聞きます。

「何であんな出来損ないに怯えるのか」

 ネズミは、こう答えます。

「あれトラなの? ネコかと思った」

 甚五郎は、落語や講談、浪曲でも庶民の人気を集めていました。

 日光東照宮の眠り猫など甚五郎作と伝えられる建築装飾は、全国100カ所近い建物に残っています。

 不思議なのは、その年代が室町時代末期から江戸後期まで300年間近くにおよんでいることです。

 つまり、この伝説的な名前は何人もの達人たちの仕事に支えられていたということでしょう。

 日本列島の歴史の始まりから無名の職人や地域の共同作業によって受け継がれてきた日本の木造建築の技術である「伝統建築工匠の技」が、ユネスコの無形文化遺産に登録されます。能楽や和食などに続いて、国内22件目の登録だといいます。

 対象の17分野は木工や左官、屋根の瓦ぶきや茅ぶき、建具や畳作り、外観や内装の装飾、漆塗りなとなっています。

 なかには職人の高齢化や後継者不足が技術の継承を脅かしている分野もあり、すべてが国の「選定保存技術」となっています。

 今は、ユニークな伝統技術こそが文化の垣根を越えて「クール」と映る時代です。この文化遺産登録が若い世代の関心を引きつけ、技を極める「甚五郎」が現れるのを期待します。

八丁堀のオッサン

八丁堀に住む、ふつうのオッサン。早稲田大学政治経済学部中退。貿易商社勤務のあと雑誌編集者、『月刊文芸春秋』、『週刊ポスト』記者を経て、現在jジャーナリストとして文字媒体を中心に活動。いろいろな面で同調圧力 にとらわれ、なにかと〝かぶく〟ことが少なくなっているニッポンの風潮が心配。

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