〝ヤマ勘〟の「物理屋」「実験屋」が亡くなった
先日、ノーベル物理学賞を受賞した小柴昌俊さんが94歳で亡くなりました。
小柴さんは旧制一高時代、寮の風呂で湯気のむこうから小柴さんの進路について語っている教師の声を聞いたといいます。
「小柴が物理学科を受けるはずがない。受かるはずはないから」
著書やインタビューで、そこから猛勉強が始まったと繰り返し述べています。
後年、東大の卒業式の祝辞で自分の成績表を披露しています。内用は優が2個、良が10個、可が4個でした。この成績はビリではないでしょうが、ノーベル賞に輝く東大教授のものとも思えません。
小柴さんは、「学校の成績はどだい受け身の評価で、この先は違っている」と卒業生に伝えたかったのです。
少年期、軍人か音楽家を夢見ていましたがポリオ(小児まひ)にかかり、諦めたといいます。
古代ギリシアの数学者で物理学者、技術者、発明家、天文学者でもあったアルキメデスは、古典古代における第一級の科学者という評価を得ています。
アルキメデスが「アルキメデスの原理」を思いついたのは、風呂に入っているときだったといわれています。
アルキメデスの原理とは物理学の法則で、「流体(液体や気体)のなかの物体は、その物体が押しのけている流体の重さ(重量)と同じ大きさで上向きの浮力を受ける」というものです。
ノーベル物理学賞を受賞した益川敏英さんは、受賞に繋がる閃きを自宅の風呂で得ています。小柴昌俊さんも、風呂には縁があります。
カミオカンデでの研究が始まってから素粒子ニュートリノを世界で初めてとらえていたか、否かの大発見がかかったデータ解析が始まったときには「先約があるから」と温泉に出かけていたといいます。
人一倍の努力が求められる道を歩んできたことが、親分肌で腹の据わった研究者像をつくりあげています。
実験の現場では、磨き抜いてきた〝ヤマ勘〟を誇っていました。物理学者とも思えない論理を超越した名言も、変人を自認するキャラの賜物でした。
「物事をとことん突き詰めると、勘の当たりが良くなる」
「運をつかめるかどうかは、日ごろから準備しているかどうかだ」
何十年に1度の超新星爆発が観測されたのは、素粒子観測施設「カミオカンデ」の観測態勢が整ったばかりのときでした。1カ月後に東大を退官する小柴さんが心血を注いだカミオカンデは、その爆発で出たニュートリノを見事にとらえていたのです。
叩き上げを思わせる「物理屋」「実験屋」の呼び名も、また似合った人でした。
小柴さんは、「この発見は何の役に立つのか」という記者の問いに断言しています。
「まったく役に立ちません」
ただ、「基礎科学の成果は人類共通の知的財産です」と言葉を足しています。
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