若者は元号をコミュニケーションや消費の手段として楽しんでいる
さて、元号――。
明治45年(1912年)7月、天皇の危篤を伝える号外を手にした日の夏目漱石の日記にはこう記されています。
「当局の権を恐れ、野次馬の高声を恐れて、当然の営業を休むとせば表向は如何にも皇室に対して礼篤く情深きに似たれどもその実は皇室を恨んで不平を内に蓄うるに異ならず」
日記を要約すると、夏の風物詩である隅田川の花火を中止した当局の対応は非常識であるということです。
夏目は、夏の風物詩とあっている娯楽を禁じても天皇の病状は回復しないし、営業停止はかえって天皇の徳を傷つけると批判したのです。返す刀で、新聞はしっかりしろとバッサリ切り捨てています。さすが、当代一の文明人です。
振り返ってみると、昭和の終わりにも日本中で、〝自粛〟という形で同じことが繰り返されました。
この点、今の若者は元号をコミュニケーションや消費の手段として楽しんでいます。表現や経済活動が萎縮した昭和末期の閉塞感を知る身には、隔世の感がします。
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