タバコの煙が消えた社会の薄っぺらい風景

 一昨年のミステリー小説ベスト1を総舐めにしたのが、英国のホロヴィッツ作「カササギ殺人事件」です。

 探偵役の女性編集者は、愛煙家です。キーマンが同好の士とわかると、こう言って近づいていきます。 

 「一緒に一服しましょうか?」 

 彼女は、タバコの効用をこう説いています。

「昔ながらの小道具のお陰で壁が取り払われ、仲間意識が芽生える」  

 小説のなかなら煙も匂いも流れてきませんが、現実は、そうもいかないようです。昨年後半から、タバコに対する厳しいニュースが相次いでいます。一部のコンビニは、1年半後の五輪を睨んで東京都内で店頭の灰皿を撤去し始めています。  

 かつて一世を風靡した歌手の松田聖子さんの歌に「煙草の匂いのシャツに」というくだりがありましたが、それも遠い昔の話のようです。  

 一服」からの連想で言うと、古の茶人は雲のかかる月やヒひび割れた茶わんを好み、不完全さに侘びの美を見ていました。ともかく紫煙が社会から退潮して、得るもの失うものは何なのでしょう。

八丁堀のオッサン

八丁堀に住む、ふつうのオッサン。早稲田大学政治経済学部中退。貿易商社勤務のあと雑誌編集者、『月刊文芸春秋』、『週刊ポスト』記者を経て、現在jジャーナリストとして文字媒体を中心に活動。いろいろな面で同調圧力 にとらわれ、なにかと〝かぶく〟ことが少なくなっているニッポンの風潮が心配。

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