心の闇
不登校や引きこもり、イジメ、摂食障害、うつ病、リストカット、援助交際、出社拒否、帰宅拒否、パワハラ、セクハラ、アカハラ、買物依存症・・・。
今の子どもたち、大人たちが抱え込んでいる「社会的病理」の背景には「心の空虚さ」が潜んでいるとされています。
額 に汗をして働いていた労働を中心とした社会ではなく、きらびやかな消費を中心とした社会が広がっていくにつれ、個人のアイデンティティは色合いをなくして淡く拡散してしまい、ほとんど見失われてしまっているのかもしれません。
こうした消費中心の時代、消費者と化した人はファッションや趣味、旅行、スポーツなどで「自分探し」を試みてみるのだが、やっとの思いで紡ぎ出すことができるのは「ちっぽけなストーリー」に過ぎないことが少なくありません。
そして必死に努力をしても少しも報われず、失うもののほうが多いという現実に愕然とし、「心の空虚さ」を膨らませてしまうのです。
かつて神戸児童連続殺傷事件を起こした14歳の少年「酒鬼薔薇聖斗」(少年A=記号で呼ばれた)は、学校や社会で「透明な存在」であることを自覚し、せめて他人に「空想の中だけでも実在の人間として認めてほしい」と、まさに消えてしまいそうな自分の存在を学校や社会に訴えかけようとしていたのです。
人生は誠に不条理なもので、それをドフトエフスキーやサルトル、カミュ、安部公房などがテーマにしていました。
自分がどこへ向かっているのかわからなくなると、「自分がだれなのか」ということもわからなくなってしまう恐れさえあります。
酒鬼薔薇聖斗も、こうした一人でした。
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