一億総ツッコミ社会

 ネット社会では、匿名のツッコミであふれ返っています。

 身分を明かさないことをいいことに、それが過激になっています。人と違った意見や評価を述べると匿名のネット住民から「上から目線」で激しく叩かれます。

 厄介なのは、そうしたネット住民の大半が自分こそ「正義」だと思い込んでいること。自分のことを棚に上げた他罰的な姿勢で、自分と違った意見が許せないのです。心に余裕がないので、しなやかにボケることができずに逆ギレします。

 匿名のネット住民は、なぜ実名で自分の意見を言わないのでしょうか? 

 なぜ自分の言葉ではなく、人の言葉の受け売りでしか意見を言えないのでしょうか?

  一生、匿名のまま生きていくつもりなのでしょうか? 

 匿名で振舞っていると、コンプレックスや嫉妬心などに起因する不平不満やストレスといったものは本人的には解消されるかもしれません。

 ただ、そうした姿勢では本当に欲しているリア充な人生を送れるわけがないのです。

 ネットで我が物顔に振舞っているバカやアホは、とにかく人を貶(けな)し、気に入らない発言を罵倒します。なかには嫌いな芸能人や著名人のブログを炎上させるネット住民も。

 自分本位の社会正義を振りかざし、相手を過剰に攻撃します。ツイッターやニコ生で、つまらないネタに、くだらないコメントをします。

 リアルな社会では自分では何もしない、あるいは何もできないが、人や世の中の出来事には「上から目線」で批評、批難するおです。

 クレーマーやモンスターペアレント、モンスターペイシェント、思い込みの激しい市民活動家などはその典型的なサンプル。

 そうした言動をしがちなのは、相手が自分にない能力を発揮したり、人生を楽しんでいたりすることに我慢できない心情から。他人を貶すことによって相手のパフォーマンスを無価値化し、やっとの思いで自己愛が保てるのでしょう。

 ネット上で居丈高に振る舞っているネット弁慶は、リアルな社会では小心者が少なくありません。その実像には、言いようのない寒々しさが漂っています。

 ネット上では威勢がいいが、実生活では小心者でヘタレの典型。ネットの世界では、そうしたネット弁慶がほとんど制約もなく跳梁跋扈しているのです。

 一億総ツッコミといった風潮は、ミーイズム剥き出しのネット弁慶とはかかわりたくないという窮屈さ、息苦しさを生んでいます。 

 本来、ツッコミやボケってお笑いの手法なのですが、それがネットにかぎらず、日常的な会話や飲み会などでも人の目立つ言動に対してツッコミの総攻撃。

 そうしたメタなツッコミを心配してみんなが自己規制し、自由に意見が言えなくて委縮してしまっています。

 何か発言すると、たとえば自分こそ「正義の使者」と思い込んでいる厄介で面倒なネット住民に叩かれるとわかっているからです。

 実社会でも、何でも深みのない低レベルの笑いのモノサシで人を評価しようとする風潮があります。それが過剰になって少しでも噛んだり、ベタなことに感心したり、空気を読めなかったりするとボケあつかいをされます。それでイジメの対象となり、その社会でのカーストの最下層に位置づけられることもあるのです。

  だから、ボケるにしても前もって何らかの予防線を張っておくことが大切です。ともかく、何とも息苦しい社会になっているのです。 

八丁堀のオッサン

八丁堀に住む、ふつうのオッサン。早稲田大学政治経済学部中退。貿易商社勤務のあと雑誌編集者、『月刊文芸春秋』、『週刊ポスト』記者を経て、現在jジャーナリストとして文字媒体を中心に活動。いろいろな面で同調圧力 にとらわれ、なにかと〝かぶく〟ことが少なくなっているニッポンの風潮が心配。

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