トップブランドは一羽で飛ぶことを恐れていない

 テレビで以前、オートバイメーカーのハーレー・ダビッドソン社の歴史をたどる『ザ・ブランド~飛翔のとき~』というドキュメンタリー番組を観たことがあります。

 創業者の孫であるウィリー・ダビッドソン(当時副社長)さんは、番組のなかでこう問われます。 「ハーレーにとってブランドとは?」  

 すると、ダビッドソンさんはこう答えたのです。 

「反抗心、そして自由」 

 日ごろ思っていないと、なかなか口をついて出てくる言葉ではありません。

 ハーレー社は、今でもアメリカの文化と本場のヤンキー魂を守り続けています。それを後世に伝えていくために、オートバイの生産拠点を人件費などコストの安い海外に移すことなくアメリカ本土に置いているのです。 

 高級ブランド「シャネル」の歴史は、ガブリエル・シャネルという女性の人生そのものです。

 シャネルは1883年、フランス中部のオーヴェルニュ地方で生まれました。幼い頃に家族が離散し、修道院で子ども時代を過ごしています。親しい人からは「ココ」の愛称で親しまれ、ブランドのロゴ「CC」は世界中で広く認知されています。

 スタート地点は、1910年に開業した小さな帽子店でした。

 そのころ一般的だった装飾の多い帽子に対して、シャネルが作るシンプルなデザインの帽子は女性たちに人気で大成功を収めています。

 心の奥底には、ハングリー精神が燃え盛っていました。

 華やかな恋愛を繰り返しながら、そうした恋人たちからもインスピレーションを得てデザインとビジネスの才能を一気に開花させていきます。大胆な発想と斬新なデザインで世界中の女性たちを虜にし、ファッション界に革命をもたらしたのです。 

 まさに、ブランディングの鑑。いろいろな困難に遭遇してもハングリー精神で心を武装し、そうした困難を乗り越えていったのです。

  最近、銀座のシャネルの店舗でスタッフに聞いたことがあります。

「なぜシャネルはアウトレットモールに商品がないのですか」 

 答えは、シンプルなものでした。

「ブランドを守るため、安売りをするアウトレットモールには商品を流さないようにしています」  

 それを聞いて、納得しました。

 やはりトップブランドには矜持や反抗心があり、たった一羽で飛ぶことを恐れてはいないのだと。 

八丁堀のオッサン

八丁堀に住む、ふつうのオッサン。早稲田大学政治経済学部中退。貿易商社勤務のあと雑誌編集者、『月刊文芸春秋』、『週刊ポスト』記者を経て、現在jジャーナリストとして文字媒体を中心に活動。いろいろな面で同調圧力 にとらわれ、なにかと〝かぶく〟ことが少なくなっているニッポンの風潮が心配。

0コメント

  • 1000 / 1000