他人の評価と自分の評価

 人の評価とは、それこそ曖昧なものです。

  なぜなら、人は往々にして性別や年齢、容姿といった属性だけで相手を判断し、評価してしまいがちだから。

  そうした判断、評価にしても自分の都合のいいように下しています。しかも、それを無意識にやっているから始末に悪いのです。 

 そんな無意識が眠っているときもあれば、表に顔を出すときもあります。 

 人の評価とは、いい加減なものです。だから、あまり気にしないほうがいいという考え方もあります。  

 こういう思いを抱く人も少なくないはずです。

 こんなはずではなかった――。

  自分の現状に不平不満を抱いている人は、意外と少なくありません。そうした精神状態が長く続くと、心が負のベクトルに苛まれていくことがあります。

  子どもや大人が抱え込んでいる不登校や引きこもり、イジメ、摂食障害、うつ病、リストカット、援助交際、出社拒否、帰宅拒否、パワハラ、セクハラ、アカハラ、買物依存症などの社会的病理――。 

 その背景には、かなりの割合で心の空虚さが潜んでいるとされています。

  かつてのような額に汗をして働いていた労働を中心とした社会ではなく、今では欲望に裏打ちされた消費を中心とした社会が広がりを増しています。 

 それにともなって個人のアイデンティティーは色合いを失くし、薄められて見失われがちです。

 

八丁堀のオッサン

八丁堀に住む、ふつうのオッサン。早稲田大学政治経済学部中退。貿易商社勤務のあと雑誌編集者、『月刊文芸春秋』、『週刊ポスト』記者を経て、現在jジャーナリストとして文字媒体を中心に活動。いろいろな面で同調圧力 にとらわれ、なにかと〝かぶく〟ことが少なくなっているニッポンの風潮が心配。

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