ハンコの庶民化は江戸時代の5人組がルーツ


 江戸時代の諺(ことわざ)に、こういうものがあります。

「印形(いんぎょう)は首と釣り替え」

 ハンコを押すのは、自分の首と引き換えにするくらいの覚悟が要るという意味です。滅多なことでハンコを押してはいけないと、その重大さを戒めていたのです。

 視点を変えると、滅多にハンコを使わない江戸時代の庶民にもハンコが行き渡っていたということです。

 江戸時代の中ごろには、農民もそれぞれ自分のハンコを持っていたそうです。

 それは、幕府が作らせた当時の隣保組織の誓約書である五人組帳の連名連印でわかるといいます。

 そんな江戸時代をルーツとする〝ハンコ社会〟も、ネット時代になって大きな曲がり角を迎えています。

 デジタル化や規制改革を掲げる菅政権の河野太郎行政改革担当相が「ハンコを直ぐになくしたい」と言えば、平井卓也デジタル改革担当相も直ぐさま賛意で応じています。

 コロナ禍でのテレワークでは押印のために出社するムダがやり玉に挙がり、ウィズコロナ社会の脱ハンコ化の課題を浮上させています。

 今夏に決まった政府の「骨太の方針」でも、「書面・押印・対面」を不要とする目標が掲げられています。

 しかし、押印に代わるシステムの費用をどれだけの中小企業が負担できるかなどビジネスや行政の各場面での課題も少なくありません。

「首と釣り替え」という重みのある決裁や誓約の〝ハンコ文化〟の消滅への不安は、今後も様々な儀礼で残せるでしょう。

 コロナ禍から生まれた企業や行政の効率的で軽快な組織文化のほうは、今から未来へと進めていくべきでしょう。

八丁堀のオッサン

八丁堀に住む、ふつうのオッサン。早稲田大学政治経済学部中退。貿易商社勤務のあと雑誌編集者、『月刊文芸春秋』、『週刊ポスト』記者を経て、現在jジャーナリストとして文字媒体を中心に活動。いろいろな面で同調圧力 にとらわれ、なにかと〝かぶく〟ことが少なくなっているニッポンの風潮が心配。

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